2004年10月23日

松本零士などが、芳ばしいことを言っている件について

著作権フォーラムでの発言らしいです。

<松本零士の発言>

「孫子の世界まで自分の著作物を守りたいというのが心情だ

(現行著作権法では『作者の死後50年』となっている保護期間を)「本音は死後120年ぐらいにいっぺんに延ばしてくれればいいが、そんな無茶は言えないので、まずは速やかに死後75年に延ばして欲しい」

うが〜〜!_| ̄|○

著作権に纏わる議論は、現在に至ってもなお「著作権の保護を強化することは良いことだ」などという幼稚極まりない話に終始してしまいがちです。

それは結局、『権利』と名の付くものの場合、「もっとちゃんとその『権利』を保護していくべきだ」っていう物言いが、基本的な知識がない人にとって、物凄く直観に合致してるからに他ならないからなんじゃないかと常々思っています。

でも、素人的な直観に合致している意見が、実際は必ずしも正当ではないってことはしばしばあります。例としては、『食後には歯を磨くのが良い』とかそういうヤツですね。食後に歯を磨くのは、素人的な直観としては(多分)正しいわけですが、実際はむしろ有害なわけです。

著作権以外の多くの権利については、それを強化するって方向は大筋においては(それほどは)間違ってません(もっとも一概には言えませんが)。しかし。こと著作権については、この直観は全く間違っているといえます。

権利者保護を強化しましょう、という意見は何となく、「そりゃそうだよな。やっぱ保護しないとね」で終わってしまいかねない話です。でも、少なくとも著作権に関する限り、この議論はもうただただ間違ってます。

と言っても、著作権なんていらねえ、とか、海賊行為万歳とか言ってるわけじゃありません。著作権保護自体は重要です。問題は、上のような松本零士の発言などに見て取れるような意見が、『著作権をひたすら強化した場合、それによって害されたり失われたりするモノがある』ってことについて無頓着なところです。

では、著作権をひたすら保護強化した場合に害されたり失われたりするモノってのはなんでしょう。

それは、知的生産作業そのものです。

あらゆる創造行為ってのは、先人の創造物の上に成り立っているわけです。

松本零士の例でいうと、彼は『戦艦大和』やら『銀河鉄道の夜』の発想やら外観やらといった先人の創造行為の産物を自分の作品に取り込んで『宇宙戦艦ヤマト』やら『銀河鉄道999』を描いたわけです。

そういうふうにして出来た松本零士の作品について、どうして彼はその作品に含まれる価値を孫子の代に至るまで自分のモノにできるなどと思うのでしょう。

一定期間の保護が必要なのは当たり前です。クリエーターはそれでメシ食ってるわけですし。だけど、この保護期間を延長しすぎると、今度はクリエーターの創造行為を阻害するわけです。

つまり、著作権ってのは保護は必要だが、保護しすぎるのもよくないわけです。そういった益や害を忖度した上で、その中間点をどのへんに設定するかってのが本来議論されてしかるべきなわけですね。

<余談>

このへんの著作権の議論については、とりあえずレッシグの本を読んどけみたいなことが言われます。で、レッシグの本って現在邦訳が三冊出てます。著作権絡みについて一番分かりやすいのは最新刊の『Free Culture』かと思います。三冊の中では一番読みやすいし、主に著作権の話に終始しているので。それに最後の方に入ってるエルドレッド裁判の話は、ノンフィクション法廷モノとしても面白いです(裁判の結末は残念ですけど)。


posted by キャラメル at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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